since 2005 日韓友情年記念
日韓こども通信使2006 公式ホームページ
海がつなぐ未来への絆
 
企画にあたり
友情を深め合う機会づくり

■企画にあたり
 日韓国交正常化40周年を迎えた2005年「日韓友情年」には、日韓両国の友情と相互理解を深めるための様々な交流事業が実施され、その中にあって、未来を担う両国の子供による友好親善事業としてスタートしたのが「21世紀の日韓こども通信使」であり、今年で4年目を迎え、今まで以上に訪問する各地で歓迎と友好の機会を設けます。昨年2007年は遣隋使が1400周年にあたり、それまでは日韓のこどもたちを対象にしていた通信使に、中国のこどもたちも加え、こども通信使をさらに発展させました。
 そして2008年は、今までの活動内容の精度を高め、より高いクオリティの通信使活動を実施することを目指します。数ある朝鮮通信使の縁地の中から、今回は静岡を初めて訪問し、こども通信使との新しい交流・出会いに期待をしております。  
 また昨年も実施した首相官邸を訪問しての信書手交ですが、この行事は非常に社会的注目度も高く、今年も信書手交を予定しております。
 本事業は、本来のメセナ国際交流活動及び地域の活性化も目的に、日中韓交流の輪をより一層広げて参ります。

企画にあたり
企画にあたり

朝鮮通信使とは?
豊臣秀吉による朝鮮出兵後、断絶していた朝鮮国との国交を回復すべく、日本側から朝鮮側に通信使の派遣を打診したことにはじまる。1607年から計12回の通信使が派遣されている。通信使は韓日両国の平和と善隣友好のための国家使節として先進文化を伝え、韓日の文化交流に大きな役割を果たした。
朝鮮通信使の仮装行列 雨森芳洲
江戸の山王祭に登場した朝鮮通信使の仮装行列。大勢の見物人が詰め掛けています(羽川藤永筆「朝鮮通信使来朝図」より) ■朝鮮との誠信外交につくした雨森芳洲
「通信」とは互いに「信義」「信頼」をかわすという意味です。双方の国書には、お互いの国の無事と平和が続くことを願う言葉が書かれています。室町時代と同じように、日本の将軍と朝鮮国王は対等な立場で付き合う事もはっきりしていました。対馬藩の学者・雨森芳洲は朝鮮国とは「互いに欺かず」「真実の交わり」を結ばなくてはならぬと、と説きました。

遣隋使とは?
第1回目(600年)
第2回目(607年)
第3回目(608年)
第4回目(610年)
第5回目(615年)
 朝鮮通信使は、朝鮮国から日本に訪れた使節団でしたが、遣隋使は、中国が隋(ずい)と呼ばれたころ(隋は西暦581〜619年に栄えた国です)に、日本から隋にはるばる訪れていた日本人の使節団です。遣隋使の「遣」という時は、「遣(つか)わす」という意味ですので、隋(ずい)に遣わす使節(しせつ)ということになります。
 遣隋使(けんずいし)が中国 (当時の隋)に訪れていたのは、いまから約1400年も昔、推古天皇のころのことでした。当時の日本=倭国(「わこく」といいました)から少なくとも5回派遣されています。ちなみにその当時(西暦600年ごろ)の朝鮮半島には高句麗(こうくり)、百済(くだら)、新羅(しらぎ)などの国が存在していました。
 さて遣隋使についていろいろな歴史書物を調べると、上の年号ように遣隋使が中国に送られていたことがわかります。
 当時の東アジアの中心的存在であった中国(当時の隋)から、当時の日本にとって必要な文化(仏教・儒教・法律・医学)などの知識を学ぼうとすることが遣隋使の目的であったと言われ、遣隋使一行の中には留学生もいたと言われています。
 大坂(当時このころは「大阪」と書かず「大坂」と書いていました)から隋へは、まず大坂湾から出発し瀬戸内海を経て九州へ向かい、そこから玄界灘に出るというルートで行ったようです。瀬戸内海を移動するルートは、朝鮮通信使のルートと同じです。船に乗り何日もかけて当時の隋に訪れた遣隋使の方々に対して、現代では飛行機に乗れば2時間程度で日本から中国に到着することができます。
 2007年が「遣隋使1400周年」というのは第2回の遣隋使を記念することになります。またこのような考え方は近い将来ではあと3回の機会が残っていることも意味します。
   
お問い合わせ 21世紀の日韓こども通信使事務局
06-6263-1896